『桜田門外の変』があった場所
2007年09月18日
教科書や本で読んでいただけでしたので感慨深いものがありました。
江戸から明治に代わる7、8年前の出来事でした。
午前7時に愛宕神社に集結。午前9時に登城する直弼を狙いました。
井伊直弼の上屋敷は城からほんの数百メートルでした。折しも雪が降り積もる天候で警護の15人の彦根藩士も蓑笠が濡れ刀にも袋を被せていたので急襲に応戦するのは容易ではなかったでしょう。
8人は傍らで倒れ残りの7人も殿を守り切れなかったので斬首刑になりました。ホントに厳しい時代でした。
武士道精神があった時代でした。でもそのDNAは受け継がれているような気がしてます。
かなり希釈されてるでしょうが‥‥‥
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10:45
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東京だよおっかさんー3番
2007年09月16日
『さあさ 着いたよ 着きました
達者で長生きするように お参りしましょう
観音様です おっかさん
ここがここが
浅草よ お祭りみたいに賑やかね』
というわけで浅草、浅草寺に行ってきました
歌詞にあるように、お祭りみたいに賑やかで人が多いのに驚きました。まるで初詣でみたいでした。
江戸時代も今も活気があるという点では一番の場所ではないかと思いました。
ここも、心のふるさとを感じさせる場所でした。
いまどきおっかさん!という子供もいないだろうがホントに昔はみんな母親はおっかさんっていう風に見えてましたね。
時代は変わり、ひとの心、親の心も、子供の心も変わっていくだろうけれども、失ってはならないものがある!って思った次第です。
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18:09
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東京だよおっかさんー2番
2007年09月14日
『やさしかった兄さんが
田舎の話を聞きたいと
桜の下でさぞかし待つだろう おっかさん
あれが あれが 九段坂
会ったら泣くでは 兄さんも』
というこで靖国神社に行きました。
大きな鳥居と見上げるような大村益次郎の像が出迎えてくれました。
折しも旧日本軍の軍服を着た方々が進軍ラッパを吹き鳴らし縦列行進し、参拝に去って行きました。
英霊たちが現れたような錯覚にしばし陥りました
境内には立派な桜の樹が多くの木陰をつくり参拝者が憩う場所を提供していました。
春には見事な花を咲かせるでしょう。
靖国神社にしばし佇み、他の神社では起こり得ない感情が沸き起こりました。
靖国の参拝問題が静まるのは何時になるのでしょうか‥‥‥
まだ戦後が続いているような‥‥
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『東京だよ、おっかさん』
2007年09月12日
皇居を見ていたら、島倉千代子の『東京だよ、おっかさん』の歌詞が浮かんできた。
『久しぶりに 手を引いて 親子で歩けるうれしさに
小さいころが 浮かんできますよ おっかさん
ここが ここが 二重橋 記念の写真を撮りましょうね』
もう見物を一緒にする母もなく、皇居を眺めた。
終戦時、ここの広い敷地にひざまずき、平伏し涙した日本人が大勢いたことに思いを馳せたり‥‥
ここ皇居は歴史的にも意義深い場所である。
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18:16
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『私を立ち直らせてくれた人』
2007年09月10日
私は人との出会いを大切にしたいと思っています。例えそれが行きずりの人であろうとも、ちょっとした微笑みや親切で幸福な気持ちになれたりします。
大袈裟な言い方をすれば、ちょっとしたことや、ちょっとした出会いが人生を変えることだってあるんだって思ってる人間です。
上のテーマは数カ月前に読売新聞に掲載されたもので私が感動したものです。(以下全文掲載します)
『「元不幸な女さんより」』
「私を立ち直らせてくれた見知らぬ人」
『「北米在住です。5年前夫と別居(離婚)することになり、引越し先のアパート探しで町中を走り回っていた途中、あるファーストフード店に立ち寄りました。心身共に疲れ果て、1週間で体重が5キロ落ちた程地獄の毎日を送っていた時です。
隣の席で30代半ばのお母さんと男の子が2人楽しそうに食事をしていました。自分はこんなに辛い日々を送っているのに、何で他人は楽しそうにしてるんだろうと自然に涙が出て来ました。そのお母さんが、「どうしたのですか?」と聞いてきましたが、「ごめんなさい。辛いことがありすぎて」と答えるのが精一杯でした。
そのお母さんは、私の席に移動してきて、自分がシングルマザーであること、生活保護を受けている事、過去には自殺までも考えた事もあった事などを話してくれました。最後に「人生ってね、何度も転びながら進んでいくの。その転び方にも色々あるし、転ぶ回数も人それぞれ。私なんて人よりも多く転んじゃったけどね。ハハハ。」と言って去っていきました。
あれから5年が過ぎました。あの時出会ったお母さん、本当にありがとうございました。あなたのお陰で今、心から笑える毎日を送っています。」』
いい話ですよね。心がホッとします。世の中には沢山の出会いがあると思いますが、自分の助けになる出会いが見知らぬ人からあるかも知れません。偶然が必然であったような経験をすることは、まさに人を元気付け勇気づけてくれます。
大袈裟な言い方をすれば、ちょっとしたことや、ちょっとした出会いが人生を変えることだってあるんだって思ってる人間です。
上のテーマは数カ月前に読売新聞に掲載されたもので私が感動したものです。(以下全文掲載します)
『「元不幸な女さんより」』
「私を立ち直らせてくれた見知らぬ人」
『「北米在住です。5年前夫と別居(離婚)することになり、引越し先のアパート探しで町中を走り回っていた途中、あるファーストフード店に立ち寄りました。心身共に疲れ果て、1週間で体重が5キロ落ちた程地獄の毎日を送っていた時です。
隣の席で30代半ばのお母さんと男の子が2人楽しそうに食事をしていました。自分はこんなに辛い日々を送っているのに、何で他人は楽しそうにしてるんだろうと自然に涙が出て来ました。そのお母さんが、「どうしたのですか?」と聞いてきましたが、「ごめんなさい。辛いことがありすぎて」と答えるのが精一杯でした。
そのお母さんは、私の席に移動してきて、自分がシングルマザーであること、生活保護を受けている事、過去には自殺までも考えた事もあった事などを話してくれました。最後に「人生ってね、何度も転びながら進んでいくの。その転び方にも色々あるし、転ぶ回数も人それぞれ。私なんて人よりも多く転んじゃったけどね。ハハハ。」と言って去っていきました。
あれから5年が過ぎました。あの時出会ったお母さん、本当にありがとうございました。あなたのお陰で今、心から笑える毎日を送っています。」』
いい話ですよね。心がホッとします。世の中には沢山の出会いがあると思いますが、自分の助けになる出会いが見知らぬ人からあるかも知れません。偶然が必然であったような経験をすることは、まさに人を元気付け勇気づけてくれます。
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